バイスティックの七原則と、苦しいは、話せるといいねえ、という話。
ソーシャルワーカーという仕事について、知りました。
「医療の現場」と聞き、思い浮かべるのは、
病院で忙しく働くお医者さんや看護師さん、
すこし範囲を広げて、介護の現場でも「なにかしらの生活における障害に対してのケア」を思い浮かべますが、
そのようなわかりやすい医療 /ケアの現場からすこし外れたところ、
より生活に近い場所で、なにかしらのトラブルを抱えた人が
生活を送っていけるように支援する人のことを言うようです。
医療ソーシャルワーカー(いりょうソーシャルワーカー、MSW:Medical Social Worker)とは、保健医療分野におけるソーシャルワーカーであり、主に病院において『疾病を有する患者等が、地域や家庭において自立した生活を送ることができるよう、社会福祉の立場から、患者や家族の抱える心理的・社会的な問題の解決・調整を援助し、社会復帰の促進を図る』専門職を指す。
ソーシャルワーカーに必要な資質として
「主体性 / 社会性の往復」が挙げられるそうなんですが、ため息が出ました…
ほんとにすごい仕事だよねえ…
(客観性忘れず「ケア」の現場で働く皆さんに、過剰に思えるほどの尊敬を感じるのですがこれはまた機会があればかければと思います)
そんなソーシャルワーカーというお仕事ですが、
このお仕事につくにあたり、マストなスキルとして挙げられる
「バイスティックの7原則」という考え方があり、これが
とても汎用性高く、これいろんな現場で必要なんじゃないかなあ、というエントリです。
おそらく、前途した「主体性 / 社会性の往復」をケアの基本の在りかたとして提供するための技術なのだと思われます。こんな内容です。
文字通り、「7つの原則」という構成で「受容者に寄り添うために」そして
「受容者が必要なケアを獲得できるために」という観点での振るまい方の規定なのかと感じます。
これ、よく読んだらね、すっごいよ…!
「意図的な感情表出」を「統制された情緒的制御」で、そして
「受容のスタンスで」聞くなんて…
そのまま「夫婦円満の原則」や「部下に接するときの原則」なんかに当てはめられそうですね。
そしてこの難易度がひっじょーに高いスキル☓7を、マストとして求められるソーシャルワーカーというお仕事… すごすぎだろと思います…
毎日ほんとに、おつかれさまです、のみこまれすぎないように、してあげてくださいね。
「苦しい」を話せることは、奇跡だ。
バイスティックの七原則、「苦しいを受容する側」について考えていたら、
「苦しいを話す側」にも、思うことがありました。
フランスの哲学者に シモーヌ・ヴェイユ さんという方がいらっしゃいます。
ヴェイユさんの言葉に、こんなのがあります。
不幸によって不具にされた人間は、誰かに救いを求め得る状況にはなく、求めようという欲求すらほとんど抱き得なくなっている。だから、不幸な人間に対する共苦の情(コンパッション)は不可能事である。それがほんとうに生じる場合は、水上の歩行や病人の平癒や、さらに死者の復活よりも驚くべき奇跡の一つである。(『神を待ち望む』ヴェイユ)
この言葉に共感します。ぼくの言葉で解釈すると、
「ほんとに苦しいとき、苦しいと認知したら、心が保たなくなっちゃうよねえ。
そうだとしたら”苦しみの認知”を正しく行い、その”苦しいを、話す”ことは、奇跡だよねえ」
という感じでしょうか。
そう、きっと、「自分は、苦しかったんだ」と、客観性に支えられた眼差しを
自分の苦しさに向けるとき、
それはほんとうに尊いことで、奇跡のようなことで、
そして、それを、バイスティックの七原則を理解するような人に向け、
「言葉にし、共有する」とき、そのことができるということは
客観性と現実を正しく認識する心のカロリーがある、ということかもしれず、
ぼくは、この状態に、なんていうんだろう、とても希望を感じるのです。
健康でいるということが、大切な人へ贈れる、いちばん尊いことに思います。
無理はせず、準備されたタイミングで、
苦しい人、苦しかった人、いつか話して、笑えるといいね。
こんかいは以上となります。〈20分〉