「良い社会」って、なんだろう? - 森星さんの「変わっていかないと」という言葉から -
元気でやってます。みんなはどう?
アメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーが遺した『ニーバーの祈り』が好きです。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。
一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。
これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。
あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。
アーメン
「変えるべきものを変える勇気を、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください」
祈りの言葉って、絶対的な存在のまえで、わたしはなにを望むかをある種試されているわけですから、
よく推敲された良い言葉が多いですよね。
「将来したいことはなんですか?」と聞かれたとき「社会を良くしていたい」と答えることが多くありました。
だいたい「良くするって、なんなの?」と聞かれます。
うまく答えられなかったときは「ああよくいるこういうタイプね」と矮小化され続けてきたんですけれど。覚えているんですよ、意外とね。
「社会を良くしていたい」ということばは、形容詞と動詞でできています。
「社会が良く」が形容詞で、「していたい」が、動詞ですね。
この形容詞のほう、「良い社会」というのが、ニーバーの祈りと、あとですね
モデルの森星さんの姿から、少し言葉にできました。
この前、中川政七商店の前社長がこんなことをおっしゃられていました。
楠木さんの「#すべては好き嫌いから始まる」を読みながら気づいたこと。
— 中川淳改め、中川政七 (@jun_nakagawa13) June 15, 2019
自分の動因は「ヒーロー願望」かと思っていたけど、違った。
真の動因は「みんながそんなの無理でしょって思うことを実現する」だった。
他の人にはどうでもいいことだけど(笑)自分の中では大きな気づき。
ぼくの今回のエントリも、他の人にとってはどうでもいいことなんだけれど
自分にとっては大きな気づきだったので、書いておきたいと思います。
森星さんの言葉「それは、生活から… うーん、生き方から」
最近、仕事が忙しいです。やっと退屈なく働けるようになったよ。
特に先々週は、ぼくバスで会社に通っているんですけれど
最終バスが22時46分でですね、その帰宅がだいたい23時過ぎ、そこからご飯を食べまた少し家で仕事をする、みたいな1週間でした。
6月14日もそんな時間に帰宅したんですけれど、珍しくテレビが点いていて。そのときにうつっていたのが、森星さんをゲストにした Another Sky だったんです。
https://www.ntv.co.jp/anothersky2/articles/2187sf6k7f81dc8nlj7.html より
森星さんがニューヨークにいて、自身のキャリアの転機について語っている、というシーンでした。
そのタイミングから番組を見始めたので、前後の文脈はわかんないんですけど
すっごい笑顔で語ってられたシーンでした。
「この先、モデルとして仕事を続けていくためには、変わらないといけないと思ったんですね。
それは、生活から… うーん、生き方から」
このシーンが深く心に残っています。
キャリアのことまで考え「変わらなきゃいけない」って、相当シリアスなシーンだと思うんですけれど、
そのことを話している森星さんの顔は、はじけるような笑顔で。
きっと、特に森星さんのように、
日々を自省とともに生き、自分の個性を殺すことはできない人にとってほんとの核は変わらないんだと思うんですね。それはよく「芯」と呼ばれています。
芯は、変えられない。だとしたら、考えてることや過ごし方まで同じだとすると、それは
停滞であり、ゆるやかな死、なんです。そして、そのような性質は、もしかすると、ぼくにもあります。
おもしろい人は、変わらない。だからこそ変わり続けられる。
これはひとつ、真理だと思います。
心理的安全性においても「スッと立ち上がるように、変われるか」が試される
ぼくのひとつのテーマに「心理的安全性」があります。
甲南大学の組織開発論を研究される西川教授と、7時間話すという時間があったんですけれど。
(それはもう学び深い時間でした。この時間はぼくの言語化スキルが追いついておらず、断片的にしか話せないんだけれど)
この時間のなかで印象的に残っているトピックが「組織開発論の視点では、心理的安全性をどう整理するか」についてでした。
ちょっとまとめた図があるので、見てみてください。
肝はですね、組織的な視点で心理的安全性を語るときには、安全性はもちろん「生産性」のまなざしも絶対に外せないということだったんですけれど。
いま多くの組織で、右下の「生産性についての考慮はあるが、生産性は低い」というゾーンから、右上への移行が挑戦されています。
ティール組織の考え方がよく語られるのはその一端だと思うんですけれど。
この移行におけるキーは「安全性に関する指標を正しく設定できるか」で、いわゆるマネジメンやマネージャーの問題になることが多いみたい。
一方で難しいのは、左上のゾーンから右上のゾーンへの移行です。
ここはいくらマネージャーが「がんばろう!」と言っても無意味です。なぜなら
「主語が組織に所属するひとりひとり」
だから。
このことを西川教授は「スッと立ち上がり、こっち側へ行けるか」と表現されていました。
「勇気を持って、立ち上がれるか」とも。
このことと、森星さんの
「わたし自身が、変われるか。それは、生活から… うーん、生き方から」
という言葉からは、同質なものを感じます。
ぼくにとっての良い社会、それは森星さんのように
「変わること」への勇気を持つ人があふれていること。
そしてそれはきっと正しい勇気がなければありえない姿勢だと思いますし
冒頭に記した『ニーバーの祈り』にある
「変えられないものと変えるべきものを区別する賢さ」を持った社会であると思うんですね。
さあ、動詞、どうするか。
ですよ。難しいなあ(笑)
ぼくはこの社会を目指し、どんな動詞で、生きていけばいいんだろう。
いまのとこ言えることは、ひたすらに体現することだよなあ。
それは、在りかたから。頑固なところがあるぼくが、軽やかに、対話から変わり続けること。
そしてその変化が良い方向へ向かっていること、です。
そして願わくば、じぶんの所属する組織の変化のタネとなること。
そして「変わるって、こういうこと」を実証すること、かなあ。
「ぜんぶ捨てるということじゃぜんぜんなくて、良くなるってことだよ。ほんで、こうやってするんだよ、ほら」ってできたらめちゃかっこいいなあ。
するぞ。成すぞ。働き続けるぞ、考え続けるぞ、自省し続けるぞ。
おい、やるぞ!!
でも美味いもの食べて、いっぱい寝るぞ。お風呂にも、つかるし。
ぼくの仲間はこんな仲間がたくさんいるんだよ。ほんとに社会の良心だよね。
さあみんな、軽やかに変わり続けよう。ぶっちぎって、他の人が説明してくれるぐらいにさ。偉い人ってみんなそうだよ、誰かが説明してくれてる。なんなら、ほら、ぼくが説明するよ。
笑顔とともに。やっていきましょう。