クリスチャン・ボルタンスキー展:喪失を読み取る
大阪の国立美術館で開催中の『クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime』へ行きました。
豊島で作成された、様々な人の心臓音を録音した、あれは何なんだろう、音?
「どくんどくどくん」という音がずっと鳴り響く空間で、困惑していました。
困惑を共有したいなあということ、
そして「あの空間はなんだったんだろう」ということを書いておきたいと思います。
喪失の感覚
だれかに使われていたであろうコートが折り重なり、山になっている作品。
174人のスイス人の新聞に掲載されていた「お悔み欄」の写真をブリキ缶に張り付けた作品。
多くの作品を一貫して作品を貫いていたのは
「だれかが存在していた」という、過去の証明、
またそれは、現在においての不在、喪失されたものという感覚を際立たせます。
『ぼた山』も『死んだスイス人の資料』も
「誰かが使っていた(活きていた)ときには意味があったけれど、持ち主が失われてただの物質になっているもの」でした。
意味性が喪われ「物質」となったものを大量に積み重ねるインスタレーションは
大量虐殺、アウシュビッツの写真を想起するような迫力がありました。
なぜボルタンスキーは、あのような ー誤解を恐れずに言えば、グロテスクな作品*1 を作り続けるのだろう?
それを読み解くために重要だと感じるインタビューがありました。
1990年に、京都近代美術館で行われたインタビューです。
私がやろうとしているのは人を直感的に感動させることなのだ。
私の作品はフォーマルなものだと言ったが、そのことは間違いない。しかし結局のところ、私は人々を怯え泣かせたいのだ。このことが私の作品の肯定的な側面である必要はない。私は人々に直感的な感動を与えたいのだ。
もし展覧会を訪れた観衆が「なるほど、これは現代美術の作品だ、ミニマリズムに非常に近いものがある…」などと納得するのであれば、その人はそれ以上に感動することはないだろう。
もしその人がその作品が美術でり現代美術であることを了承しているとすれば、その作品は危険なものではないということなのだ。
私は観衆を動揺さそうとしているのであり、それゆえに観衆を暗い展示室へ導くのだ。
私は人はもはや何も新しいことをなしえないと思うし、何かを発見することが人々(人類、というニュアンスだろうか)にとって重要なこととは思わない。そのかわり人々は、ある非常に親密な体験-漠然としたイメージから生まれる何かを認識すべきなのである。
私の作品は、人々が以前に忘れ去っていった感情の再発見を可能にするある刺戟として作用するに違いない。
私は作品に写真を使用するが、それは写真が、真実として、また存在していた何物かを証明するものとして人々に受け入れられているからである。例えば(私の作品の)翳の部分には、判別しがたいが微かにその反映を見て取れる非常に重要なものがあるのだ。その制作活動の中にしばしば、ショー・ケースの中に置かれたもののような、ある非常にホットな要素が隔離された形で存在するのだ。
京都国立近代美術館 1990.9.22 発行
まとめると、ボルタンスキーの展示は
- ダークな「なにかわからない」という感覚を目的地としている
- 言語的な解釈を自分に与えるような見方はむしろナンセンス
- 喪失を悼むというような、忘れ去りたい感情を思い起こさせる装置だ
であると、あえて解釈をするならば、そのようなものだと本人は語っているのです。
ボルタンスキー、作品の存在がメメントモリだ
ラテン語で「死を悼む」という意味を持つ、メメントモリという言葉。
「その行為の結果」に意味を求めるのではなく
「その行為を行うこと」自体に意味があるとする、また
「喪われたものに思いを馳せる」という点において、ボルタンスキーの作品は、メメントモリであると感じます。
この展示で「これは、なんなんだ?」と立ち尽くしてしまう困惑こそが感受性であり
時々わたしたちは、そのような時間をもつべきなんじゃないか、という気持ちをぼくがあの空間において持った、という一点で
素晴らしい芸術だと感じました。
2019年5月6日まで、大阪の国際美術館で開催中です。
※1 「グロテスクな作品」
この展示に行った友人が「失われる”誰かが生きていた”という事実を丁寧に証明している人だ」と話してくれたのですが、ひどく納得。
一方で、手法的な丁寧さにまで想像力を働かせることはぼくにはできず
ただただ、圧倒的な質量のグロテスクさを感じていたのでした。
気軽な気持ちではふれてはいけないと頑固な価値観を持つぼくは思うのですが、ことボルタンスキーの展示からは
「喪われていく」という、不可逆性をある種、さかのぼるという行為から
静謐な、神聖さえ感じる圧倒的な質量のグロテスクさを纏うのだと思いました。