「#はじめてpolca」をつかってみたよ、という話。

 

 

都知事選にも出馬された記憶が新しい、連続起業家の家入一真さんがつくってくださったサービス『polca』をつかってみました。

 

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アイキャッチ失礼します…!怒られたら消します

 

polca.jp

 

polca.jp

 

 

「お金の流れをなめらかにする」という哲学からつくられたこのサービス。

 

2017年8月にリリースされたのですが(まだローンチから1年なのか!)、

クラウドファンディングが市民権を得た5年後にはじまったサービスです。

 

クラウドファンディングの登場は様々なステークホルダーインパクトがありましたが

特に、ソーシャルグッドを願う人達にとって、革新的なサービスとなりました。

 

いままでは資金を集めるとしたら、募金か、補助金に頼ることが選択肢であったNPOなどのプレイヤーにとって

「共感をベースにお金を募ることができる」という選択肢があること、

ほんとうに良い世の中に進んでいるのではないかと思います。

 

polcaも、そんな想いに支えられたサービスです。いや、その想いをさらにとがらせて、純化させたサービスです。

 

 

クラウドファンディングは素晴らしい仕組みで間違いないのですが、弱点があります。それは

プロジェクトを起こすのがなかなか大変な作業になってしまうことです。

 

プロジェクトのPRの動画や文章を作成し、リターンを用意し、期間中は達成に向けさまざまなプロモーションを仕掛ける

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クラウドファンディングに奔走するFacebookページ。本人の自覚がなくてもこれは「プロモーション活動」以外のなにものでもない

 

 

というふうに、リソースの部分でも、気持ちの部分でも「挑戦へのハードルが高い」ことがクラウドファンディングキャズムでした。

 

 

そこで!登場したのが「お金の流れをもっとなめらかにする」

polcaです。

 

polca.jp

 

 

polcaのなにが優れているかって、プロジェクトを立ち上げるまでのスピード!

 

まずアプリをダウンロードし、簡単なプロフィールを設定します。

登録に必要なものはIDの設定だけだったと記憶しています

(登録のときにスクショしとけばよかった… 無念)。

 

そしてその設定を行うとプロジェクトを立ち上げることができます!

 なんなんだこのスピード感。やばない??

 

 

プロジェクトの概要を書き

 

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「一口あたりの金額」と「お返し」設定し

 

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協力してくださった方に表示されるメッセージを設定し… 

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はい、ドーン!プロジェクトがこれでできます!

 

 

しかも、polcaのすごいところ。従来のクラウドファンディングサービスは、

プロジェクトが達成(目標金額が集まる)ごとにわりと高めの手数料をサービス運営側に支払うことになるんですが、

 

 

polcaはなんと… 手数料を含めて完全に0円!!!!!

  

「お金の流れをなめらかにする」この哲学へ徹底的にもとづいてつくられているサービス仕様

 

家入さんこのサービスをつくってくださってありがとう

 

 

 

 

ぼくが立ち上げたプロジェクトについて

 

以前にこちらのブログで書きましたが、

平成307月豪雨災害でもっとも被害が大きかった場所のひとつ、

岡山県真備町に行ってきました。

 

taaaaaaaaa.hatenablog.com

 

 

ぜひこちらのブログも見てほしいんですけれども。

 

ざーっくりと、概要を言うとですね、

 

「取り急ぎの物資は足りているけれど、本格的な家の改修を行うための

電動工具などが物資としては供給されない」んですね。

 

泥かきなどはマンパワー勝負なんですが、

 

 

 

「ほうっておけば繁殖するカビを防ぐために床を剥がす」ですとか

「浸水してしまった柱を壊す」だとか、

そういった「次のステージの生活再建」は、

行政でサポートされていないとのことでした。

 

 

ぼくは、友人が被災したので、真備町に行かせてもらったんですが

一時的な復旧フェーズを終えたとしても、わりと長いスパンでの勝負になりそうな、

そんな被災の状況だなあと感じました。

 

東北と一緒だよね。現地の人にとっては「生活は続く」んだよなあ。

 

 

なので。Polcaで資金を募ることにしました。

 

使ってみての所感は、書かせてもらいましたが、まずもって圧倒的なUXへの感動!

そして、これはクラウドファンディングの良いところだとも思うんですが

 

 

「気持ちを届けられる」ところだなあって思いました。

 

 

ぼくが身銭を切って電動ノコギリなりを買っていくのは簡単なんですが

(目標金額に到達しなかったらそうしようと思っているんですが・・・)

 

受け取る側は「これ、こんないっぱいの人が協力してくれて買えてんやで」って

言われたら、嬉しくないかなあ

 

 

東北でもそうだったけれど「わたしは確かに見守られている」と感じること、

それが、生活の根幹から身ぐるみ剥がされた方に必要なことなんじゃないかなあって、

そんなふうに、感じるんです。そしてそれが本質的な、最後に、わたしたちのできることだと思っています。

 

 

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▲ 支援してくれた友人からとどいたメッセージ。大好きだ。こんな奴らが増えればいいのになあ

 

ということで・・・

 

 

 

家入さん!関係者のみなさん!

polcaをつくってくださってありがとうございます!!!!!

 

 

 

そしてみなさん!!

 

polcaをダウンロードするんだ!!

 

そしてぼくのプロジェクトに協力してください!!!!!!(大声)

 

polca.jp

 

 

よろしくおねがいします。

もっと想いに共感が集まる、なめらかな社会になりますように;)

真備町の状況について

 

 

 

真備町に行ってきました。

ニュースではざっくりと「真備町という単位でしか報道されておらず

その情報だけでは現地の細かい状況まではつかめないなあというのが所感でしたので、

実際に足を運んで、感じたことを書いておきたいと思います。

 

 

真備町について

 

岡山県倉敷市に属している真備町

人口は約23,000人です。

 

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今回の豪雨災害では市町村単位ではもっとも多い数字となっている

50人が犠牲となり、町の27%が浸水したということです。

 

亡くなられた方々のほとんどが高齢者であった、というニュースもありますね。

 

www.asahi.com

 

 

町内に大きな高梁川(たかはしがわ)という川が流れていますが、

今回、大きな被害を招いたのは高梁川に合流する

小田川だったとのこと。小田川の堤防が約100mにわたり決壊し、

被害の原因となりました

 

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ぼくが今回、足を運べたのは真備町の中でも「箭田」「川辺」「岡田」の3地域でしたが、

小田川に隣接しており、特に被害が大きかったのはこの3地域でした。

 

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ほとんどの道路で、浸水した家財道具が運び出され、道をふさいでいます。

 

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▲写真から感じる「車の邪魔にならない配慮」だよね…

 

植込みの植物は水をかぶり色あせてしまっていました。

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直線が続く道路はがれきの集積所になっています。

おそらく、1.5kmは身長より高いがれきの山が続いています

 

 

 

この映像は線で囲まれた場所で撮りました。

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しかしこのような場所は一か所だけではなく、

少なくとも3か所で、ここよりも距離的には長いがれきの山ができており、

被害の大きさが伝わります。特に、箭田地区においての被害が大きかった様子で、

この地域に関しては、3.11後の光景が思い返されました。

 

避難所や支援物資に関すること

 

真備町の避難所は、比較的高台に位置する「岡田小学校」に集約されているようです。

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職員室が臨時の避難所本部となっており、住宅をはじめ、必要な情報もこちらで受け取ることができます。

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 ▲ 廊下に張り出され、印刷される紙が情報の生命線

 

 

 

一方で、支援物資などの集約は真備総合公園で行われています。

 

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全国各地から集まる支援物資はここで一括して管理されている様子でした。

泥かきに必要なスコップや長靴などもここで手に入れます。

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洋服や生理用品などの物資もこちらです。

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また、自衛隊のみなさんが行う仮設の入浴施設も、真備総合公園に設置されています。

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私事ではありますが、この写真のなかに、務める会社のダンボールがあります。

誇りに感じました。

 

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このように、基本的な物資などは充実しているように感じました。

しかし、これから必要になるであろう、

電動ノコギリや電気を使った工具は用意されていません。

 

そして、当然ではありますが「ほんとうに生活に必要なもの」だけが揃えられています。

 

これから、メンタル面のケアや、すこしほっとできるようなもの、

そのような支援物資が必要になるのではないかと感じます。

 

 

 

被災された方の状況

 

今回は、社協のボランティア等を経由せず、友人宅のお手伝いに行ってきたのですが、

その友人の自宅は岡田地区にあります。

 

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友人の自宅は、1.2mの浸水ということでした。

 

被災の状況に応じて「り災証明書」というものが市町村により発行されるのですが、

ここで判定された被害度のもとづき、今後、受けられる支援が大きく変わってきます。

 

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mainichi.jp

地震や風水害などによる建物の被害を市町村長が証明する書類で、被災者が公的な支援金を受け取ったり、税金や社会保険料の負担を減らしてもらったりするのに必要になります。

 

 

今回の災害では、スマホ写真でり災証明書が発行されるという手続きが多く取られているようです。

www.sanyonews.jp

 

 

ちなみに友人宅は「大規模半壊」という判断でした。

 

前回判定を受けた被災者の方は、ニュースでよく流れている避難所に身を寄せられている状況かと想像しますが、

以下が現在の被災地において、いちばん現実的な問題なのではないでしょうか。

 

 


「全壊の判断が出ていない方には、今後の対応が決定していない」ようです。

 

 

 

 

みなし仮設の割り当てなどが開始された、というニュースも、

抽選の様子などとともに、ニュースでよく報じられています。

www.sankei.com

 

しかしこれ、「全壊の判定が出た方のみ、申し込みができる」となっています。

大規模半壊となった友人宅ですが、全壊と同じく、人が住める状況ではありません。

 

こんな状況のなか、この先のことについて見通しがまったく立たないなか、友人は、

水につかった家財道具を運び出し、放っておくとカビが生えるであろう、壁を壊し、フローリングを剥がし、その下にある土砂を運び出す作業をしています。

 

加えて気温は36度近く、あります。終わりが見えない作業です。

 

 

 

 

そして精神的なこと、心配なことを挙げだせば、キリがありません。本当に心配です。

 

もちろん差はあるかと思いますが、以上が真備町、また、被災地全般の基本的な状況と考えてよいのかと思います。

 

取り急ぎ、状況について書きました。

真備町や今回の被災地にボランティアに行きたい方をはじめ、

心よせる方に届きますように。

 

次の記事で「いったいわたしたちはなにができるんだろう?」について、考えたいと思っています。

 

追記

Polcaで、資金を募らせてもらうことにしました…!
記事にもありますとおり、取り急ぎ、電動ノコギリが必要です。


お気持ちよろしくおねがいします!

polca.jp

そして、現地のまとまった情報はあまり流れていないのではないかと感じています。もしよければ、この記事をツイートや、Facebookでシェア、ハテブ等、くだされば幸いです…!

 

 

 

 

豪雨災害について感じていること

 
2011年3月に、大阪大学で行われた卒業式、
当時、学長であった哲学者・鷲田清一教授は、一通りの -文字数として数えると
240文字ほどの祝辞をを述べた後、
 
「途方もない災害が起こってしまいました」
 
との言葉で、卒業式のスピーチをはじめました。
 
そして、平成30年7月豪雨災害です。
原発の問題の有無や、テレビで流れる「亡くなった方」の数字の桁こそ違えど、
 
豪雨災害としては、「未曽有の」災害であった点、そして
これからの対策を根本的に見直さなければいけないという点、
 
そしてなにより、
近しい人を亡くされた痛切さが伝わってくるという点で、
今回の2018年7月豪雨、ぼくは、3.11と同質のものを感じています。
また、途方もない災害が起こってしまいました。
 
 
今回の豪雨、ぼくは降水量としては3番目に多かった神戸に住んでおり
確かにいままでにない雨の降りかたでしたし、
加えて、徒歩にして500mほどの場所で土砂崩れが発生していましたが、
それでも、「災害に巻きこまれつつある」という意識は希薄でした。
「雨が降っている」というのは日常の範囲の現象だもんなあ。
 
 
NHK広島の人が、こんなことを書いています。

www3.nhk.or.jp

" 私たち記者は、災害が予想される際に、いつも「警戒」や「早めの避難」を呼びかける原稿を書いています。しかし、私たちの「日常」がいつ、「災害」に変わるのかを見極めることはとてもむずかしいと感じます。 "

 

 
広島でも「当事者として行動する」ことは難しかったようです。
 
被害地域が広域であったこと、下手に現地取材を行えば自身も被害者になってしまうマスコミのリスクに加え、
もしかすると「雨の災害」だと、心のどこかでラベリングをしていた(し続けている)人も多くいたんじゃないかなあ。
 
現在は、豪雨災害のニュース一色、現地からの報道ばかり、といった感じですけれど
実際の雨が降っているときの映像は、ほとんどが京都の嵐山だったり
神戸大学の裏山のものばかりだった印象です。
 
それらのニュースをみて感じたことがあったので、書いておきます。
 
 

「家族を失くした姿」を報道するマスコミは悪なんだろうか?

 
取り返しつつあるように、豪雨災害一色となったニュースの中で
「ご家族を亡くされた方」に密着しているものが、目立ちます。
 
ご家族を亡くしたお父さんの後ろには、画面を通じて確認できただけで
お父さんの後を追うように、20人ぐらいの「マスコミの人」がいました。
 
よく「心ないマスコミが!」という意見は目にするけれど、ぼくは今回
少し別のことを、その映像から感じました。
 
「このお父さんは、ひとりでこの時間を過ごすことにならなくてよかったんじゃないか?」
 
 
ご家族を亡くされた苦しみ。
自宅が浸水し、心の支えを失ったなか、  
いったいなにを支えに生活を取り戻していくんでしょう。
想像するだけで胸が引き裂かれそうになるよ。
 
そんな苦しみと喪失感のなか、あのテレビに写ったお父さんが
「だれにも見向きもされず、ひとり」だったら、どうだったのだろう。
 
もちろん、痛みからの回復の過程において、
「ひとりで悼む」という時間は、きっと、必要になるでしょう。
そのような時間が、最初に必要なひともいるでしょう。
だから一部の人たちから「クソマスコミが!」と呼ばれるのでしょう。
 
 
けれど、人間みんなが「苦しみをひとりで耐え忍ぶ」ことをできるように
デザインされているとは思えないのです。
 
ぼくだったら、どうだろう。
家族を失くし、立ち向かわなければいけない現実は山積み…
 
そんなときに、それがたとえ気遣いからでの「ひとり」であったとしても
その孤独に耐えきれないのではないか?
 
そんなふうに感じます。きっと気が狂ってしまうよ。
 
カメラをかつぎ、マイクを握ったマスコミのみなさんではあるけれど、
「自分ではない他者」に囲まれながら、
これもまた回復の過程において必要な「言葉にする」ことを
きっと、しぼりだすように、されているお父さん。
 
きっとあの映像を、ぼくらが痛みへの共感を持ちながら
受け止めることができるか、それを試されているんじゃないかなあと思うよ。
 
ああ、痛い体験ですね。強くなろう。
3.11、多くの人がそうできたように、また今回も。
 
 

みんなへ

 
そう、3.11です。ぼくはニュースで水につかった西日本の街を見るたびに、三陸を思い出します。
みんな、元気かい? ぼくでもそうなんだから、みんなはきっと
ぼく以上に思い出すよなあ。
 
 
しんどかったら、テレビ、消していいからな。
逃げているように思わないで。
 
あれだけの傷をうけてまだ7年です、
「みんなが生活してくれている」それは奇蹟だし、
その事実が、関西を救うよ。もう救われてる。
みんなが絶望していないんだよ。それは、みなさんが、
暮らしている、その事実がおっきいと思うよ。
 
すっごいワガママを言うと、
笑って生活してくれていたら、もっと勇気づけられる!
 
「ただ、いてくれること」そのことがどれだけぼくらを救うか。です。
いつもありがとう(^_^)
 
みなさんがそういてくれるんだもの。
きっと、ぼくらにできないはずはない。
 
 
なにもできない自分を責めてしまうみんなへ。
 
大丈夫。役割がくるよ。
倉敷市の市役所職員の友達がいるんだけれど、
もう、寝る暇もなく働いてるって。
いま、できることがある人が、必死にやってくれてるから
そんな皆さんに敬意を持って過ごせたらいいよなあ。
 
そして、それが原因で心を痛めるかもしれないけれど、
「関心」が向けられていること、
さっきのお父さんの話のように、間違いなく支えになるから!
 
 
FIGHT BACK!
それぞれの立場で、穏やかに、闘おうな。
 
みんなの状況が少しでも良くなっていきますように。

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7年目の三陸と、友達でいれることが嬉しいという話。

 

 

ご縁があり、2011年3月11日に起きた東日本大震災から、

 

最近は1年に1度程のペースになってしまっていますが、気仙沼へ遊びにかせてもらっています。

 

東日本大震災が起きて、2011年6月に設置された復興庁ならびに東日本大震災復興法では、2016年3月までを集中復興期間とし、

震災5年目までに、防波堤などを含めた基本インフラの道筋を示し、現在は民間・NPOを含め、復興のフェーズから「新しい東北の創造」とう言葉で表現される、

地方創生や地域活性化といった日本各地で抱える問題として取り組んでいくというロードマップが示されていました。

 

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復興庁 | 復興の現状と取組

 

 

ぼくは、津波並びに火災での被害が深刻であった気仙沼に友人がおり、「三陸へ遊びに行く」というときは、「気仙沼へ遊びにいく」ということが多いのですが、

東日本大震災から7年がたった気仙沼、どんな様子だったのか、書き残して置こうと思います。

 

 

ハード面では新しい街の輪郭が見えてきた(気がする)

 

震災が起きてから、津波でぐちゃぐちゃになり、車輌など通れるはずのない道路に、

まずは避難物資などの供給ラインとして自衛隊が道路を建設しました。このスピードは、みなさん口をそろえて「すごく早かった」とおっしゃいます。

 

その後、瓦礫などが散乱する箇所を、分別などしながら更地にし、地面自体を「かさ上げ」し、その上に街づくり計画などに基づき、ハコモノ ーお家や事業所など、を建設していく、というのが津波で直接的なダメージを受けた地域の基本的な流れなのかと感じています。

 

かさ上げ工事は、このように行われています。

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奥にある、土のかたまりのようなものが、かさ上げされた場所。気仙沼では場所によっては違うでしょうが、約7mほど、土を盛り、建物などを立てていくのはその作業が終わってから… というのが基本的なようです。

 

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かさ上げをしていないと、地盤沈下、またかさ上げしているところとそうでないところの相対差などにより、降った雨がこのように溜まり続けてしまったりしています。

 

また、気仙沼は海に囲まれ、船の発着場などがある内湾が賑わいの中心ですが、その場所も津波でほとんどの建物が流されてしまっていました。

その場所についても、新しい建物が建ち、どのように活用していくかという議論もすすんでいるようです。

 

 

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▲ 奥の赤い骨組みが、船の発着場「エースポート」。ここにいろんなテナントなどはいるそう

 

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直ぐ側では、3月11日にあわせて無料で炊き出しが行われていました。

お隣に、渡辺謙さんがプロデュースされたカフェ「K-Port」があります。

 

 

たまたまはいったごはん屋さんで「この日にあわせて無料で提供させてもらってます!」みたいなことが数度あり、そんなんやめてくださいと大変恐縮の気持ちに何度もなりました…

こんなことも、7年目の変化として印象に残りました。

 

これは、建設中の魚市場だそう。

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どうやら、日本最大面積の水揚げ場+市場機能が併設された施設ができるようで、その大きさに圧倒されてしまいました。

 

ハコモノができる」ということは、

「その土地をどのように活用していくか」という議論がなされており、(成功するかどうかは別にしても)未来を見据えた議論をし、その土地をどのように使っていくかというロードマップがあるということでしょう。

また、かさ上げなど、一次復興というべき対処は完了しているから、そこに建物が立つということ。

産業やハードの面では、気仙沼では、大きな変化、前進?が、あったなあと感じます。

 

個人のストーリーで

 

ぼくにとって、三陸は、「友人が暮らす場所」です。

それも、とびっきりに良い友人が暮らす場所、です。

 

なので、どんなにハード面の前進があったとしても、

友人のみんなが、取り残されていたり、孤独感を感じていたり、

そんな月日の経ちかたは、望んでいませんし、「復興」とは呼びたくないなあと思います。

 

幸い、ぼくの友人は、いろいろあるけれど、元気に暮らしています。

話せないこともきっとたくさん含んで、けれど、笑顔で話してくれています。

 

敬愛する鷲田清一さんが、心理学者である赤坂憲雄さんと、東北についての語らいのなかで、こんなことをおっしゃられていました。

 

 

じっと、見守ってくれている人がいるということが、人をいかに勇気づけるかということは、被災の現場だけでなく、たとえばこどもがはじめて幼稚園に行ったときの情景にも見られることです。〜
わたしたちが(東北に、そこにいる方々に)できることは、この見守りを続けること、心を届け続けるということです。

『東北の震災と想像力 われわれは何を背負わされたのか』 鷲田清一 × 赤坂憲雄
2012.3.8 初版 講談社出版

 

「街がこんなふうになっていました」という文脈でなく、「あの人にとって」という文脈で、この出来事を語りたい自分がいます。

けれど、それを不用意にするには、かかわり方も、心のよせかたも、人間的にも、どこまでも未熟で、こんなふうに客観的な文章を書いてお茶を濁してしまい、

鷲田さんの「見ることが力」という言葉に、なにもできない無力さにすがってしまうぼくです。

この文章を書くにもどきどきしてしまいます。

 

 

大好きな気仙沼に行ったら会えるひとりの社長が、早期復旧を宿の経営者として支えられ続け、昨年その宿を閉館し、いまは、仮設住宅から移り住む災害復興住宅に暮らしの場所を移されました。

 

神戸の震災でも、15年目頃からいまにかけて、コミュニティが瓦解しそのまま孤独死されるご年配の方がとても多かったのですが、

三陸の災害復興住宅でも、同じことが起こり始めていることを教えてくれました。

 

そんな、様々な支援、また関わり合いから「掬われていない」方がたくさんいるのだろうなあ。

 

 

ぼくは、いつでも、全力で三陸に関わることができれば嬉しいです、その準備をしていますから!


いつも笑顔で向かえてくれる友人たち、人生の先輩のみなさん、ありがとう(^_^)

7年間、大切に積み重ねてきた人生が流され、みなさんはそれ自体を「幸運なこと」と口をそろえるけれど、新たなスタートから走りつづけてこられた7年だったと思います。

 

そりゃあ、いろんなものが溜まっちゃうよ〜

どうか、言葉をこぼしながら、自分だけの2本の足で踏ん張らなくてもいいから、

 

 

ぼくも、もっともっと一助になれるように、力をつけたいなあと思っています。

いつも、日常を生きてくださって、ありがとう!

 

横にいさせてくださいね、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

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ベンチャー企業に就職しなかった話。

 

 

前回のエントリで就職活動の備忘録を書いたのですが、

 

taaaaaaaaa.hatenablog.com

 

「自分ごとに感じる課題の解決に携わりたい」「けれどいますぐ自分の力で食っていくことは難しい」という人が検討しやすいであろう

ベンチャー企業への就職」という選択肢、

ぼくも検討といろいろ選考を受けてみたのですが、その経験を通じて感じたことを書いておこうというエントリです。ご笑覧ください。

 

 

ベンチャーへの就職はこの2つにしとけ

 

まず、ベンチャーの定義をしようと思います。

 

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毎度ざっくりしすぎの定義ですが、3つのクラスタに分けますね。

この記事では「メガベンチャー」とよばれる企業と「ベンチャー」とよばれる企業は分けて、ベンチャーとよばれる企業群に適応できる話を書こうと思います。

 

 

結論から申し上げますと、もう一度就活をするとして、ベンチャーへの就職をする動機として良いのは

 

− 明日その会社のチームにジョインしても最大値に近いパフォーマンスを発揮できる

− その会社にしかないサービスに動機がある

 

このいずれかなのではないかなあと感じるのです。

そしてこの2つに共通することは「課題やミッションに直線距離で取り組める実感」であります。

 

 

ベンチャー企業の選考を辞退をした

 

一次産業が主幹産業の地域計画などを学ぶ学生なのですが、

問題意識とめちゃくちゃ近く、ああそれが必要だよねえと感じる事業をされているベンチャー企業インターンを受けました。

がっつりインターンではなく数ヶ月に一度のペースで何日か通いそのたび課題を持ち帰り、取りくむようなタイプのやつです。 

 

事業内容はもうドンピシャで、めちゃくちゃ根性がないとできない泥臭い事業をされていて、いまも敬意感じる会社なのですが

 

ここで、社会人としてのスタートを切るかどうかを考えるにあたって、どうしてもクリアしておきたいところがあったのですね、

そして採用担当と言われる方は、小さい会社では定番フォーメーションでしょうが、

いくつかの業務を兼務されている、かつ、ひとつひとつの裁量はおおきくないことが伝わっていました。

 

ぼくの疑問は社長にしか答えてもらえんだろうなあと思い、採用活動開始の直前ではあったのですが、「一度お話させてもらう機会いただけませんか?」というメールを出したところ、

返信はこのようなものでして…

 

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それを見たときに「あ、ここで働くのは無理だ」と思ったのです。

 

もちろん、採用に関する業務は社長はノータッチでいこうと決められていて、

日々の業務もありますでしょうし、単純にぼくの話したいというリクエストは受けられない状況だったことは理解できます、できるんですが、

 

ここで働くとこういう類のボトルネックがたくさん生まれるんだろうなあ…

 

と感じてしまったのでした。

採用活動、どんな人材を採るかって、事業を通じて課題解決を図りたいのであれば、最重要ミッションに近いんじゃないか…?というのは個人的な所感なわけですけれども、

そのポイントで「他に優先順位がある」そして個人的な話で恐縮なのですが、大事な意思決定をするにあたって適切な人からレスポンスをもらえないというのは、

どんなに事業的に動機が重なったとしても、マネジメントや会社の文化の部分で課題解決へ直線距離では向かえないなあと感じたのでした。

 

 

と、まあうだうだと書きましたが、

就職する」ということを通じて、働くということを通じて、

じぶんの動機の重なる部分や、自分ごとの課題意識へアプローチしたいと望む人材は、おそらく

「ここでその想いを果たせるのだろうか?」ということを、具体的な働きかたを想像しながら選考やインターンのプロセスに参加していますので、

ベンチャーの人事担当の皆さま、ここはひとつそんなことも頭の片隅において採用活動して貰えればと思います。

 

 

ここでしかできないことがある!は、信じよう

 

google名誉会長の村上さんという方が

「もう一度、新卒入社するのならどこにはいりたいか?」という質問に対して

プリファードインフラストラクチャー人工知能ベンチャー」と答えられているように、

多くの学生にとってはそのような判断基準を持つに至るには難しいかもしれませんが、

「この会社のこのサービスじゃないとできないことがある!」という動機も、ベンチャー入社を決めるものとしてとてもいいですよね。

 

www.onecareer.jp

 

 

新卒カードという、一生にいちどの機会、

自分の動機をごまかさず、納得感持つ意思決定をしたいですね。

 

 

こんかいは以上となります。

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就職活動の備忘録と、安心のフレームワークの話。

 

 

すっかり冬になりまして、夏頃まで頻繁にあったやり取り、

「就活、どう?」というのもめっきりなくなった昨今ですが、

大学でありました、「先輩に就職活動の話を聞く!」みたいな時間に

登壇させていただきました。

 

 

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▲金髪になりました

 

登壇者全体に質問を投げかけられ、一人ひとり質問に答えていくというスタイルだったのですが、

聞かれたことはざっくりこんな感じでした。

 

− どんな業種/事業内容ですか?

− なんでその企業に決めたのですか?

− 内定貰った数、時期

− ウチの大学の競争優位性

− 業界研究・企業研究の方法

リクナビマイナビはじめ、就活情報のとりかた

− 就活中にこころがけたこと、マインド

− 後輩へのメッセージ

 

後輩へのメッセージは

「ご飯をたくさん食べて、お風呂につかって、ゆっくり寝るようにしてください、

神社にお参りしてから選考に行くと落ち着いて望めてオススメです」

というポンコツ回答でした… 

でも「苦しくなる」を回避するは大切な気がします。笑顔でやってやりましょう。

 

ああ、これからもしかしたら就活の話、ほとんどしなくなるのかもしれないなあと感じ、就職活動という数ヶ月を

書き留めておこうということでのエントリでございます。ご笑覧ください。

 

 

就職活動するにあたって

 

 

ぼくの就活中の軸は、

「生活や文化のなかから立ち上がるサービス・商品をスケールアウトして売ることができる会社」

「安心して働ける場所にいること」

でした。就活生風の言葉にすると「事業内容」と「企業文化」ですね。後者についてはもう少し詳しくお話します。

 

まず、めちゃくちゃ不安でした。

「ぼくを欲しいと思ってくれる企業なんてあるのだろうか…?」と。

 

 

まわりの友人は、わりとフリーランス的な働き方をしている子が多く、

なんていうんだろう、「就職するのなんてダサい」みたいなマインドがありました。

 

加えて、学生をしながらぼちぼとお金をもらいながらフリーランス的なことをさせていただく機会にも恵まれており、

「あんた、就職するの?」みたいな空気もビシバシ感じていました。

 

でも、自分のスキルの低さなどは痛感しており、

「このまま独立しても食うことに必死になるだけだな…」と、就職活動をはじめることとなるのですが、ぼくにとって

就職をしよう、というのが、まず大きな意思決定でした。

 

 

安心のフレームワーク

 

 

いろんなことを考えながらの就職活動だったのですが、

終わった後、「ぼくが考えていたのはこれだったのか!」というフレームワークが残りました。それが、先ほど少しお話した

「自分にとって安心できる場所はどういう場所か?」ということでした。

図にすると、こんな感じなんですけれど、

 

 

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3つのレイヤーに分かれています。そして、ぼくがそれぞれに求めているのはこんな感じになります。

 

 

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「どういう場所に安心するか」って、みんなそれぞれ違うんですよ。

 

公務員的な安定性があるということに安心する人もいれば、

成長スピードに長けている環境に安心する人もいる、

そもそも、就職が安心の選択肢からはずれている人も、きっといます。

 

いろいろ考えてたわけですが、ぼくが就職活動中に考えていたことは

わりとこのフレームに収斂するなあと感じていて、

また、「安心」は「生産性が高くいられる条件」なんかにも言い換えられるんじゃないかと考えてます。

 

僭越ではありますが、

就活、これを軸に考えるのわりと良いんじゃないか…?

と感じている次第です。

 

それぞれを判断するためになにを見ていていたか

 

③に関しては、事業内容やミッションで判断できますね。ここはじぶんが共感できるかの話になるかと思います。

②に関しては、空気感から判断するしかないところがありますが…

ほんで、難儀なのが①でした。

 

「安心して落ち込める」っていうのは、なんていうんだろうな、

「幅広い学びを許容してくれる」みたいに言い換えられると思っています。

多様性かもしれないですね。

 

目標と価値観が固定されて、求められるスキルが事業に直結するものだけだなあというか、

いろんなことを学ぶことを良しとしないような空気感って、ありますよね…

「そんなこと考えてる暇があったら!」みたいに言われそうだなあというか…

 

いろんなチャレンジをして、もしかすると失敗して、そのときに落ち込むことを、肯定的に捉えてくれるかどうか。また、その学びを組織の学びに還元してくれると感じられるか。

そんな感覚でしょうか。そのことを見極めるために

 

「最近、意識的に学んでいることはなんですか?」

 

という質問はよくしていました。あと

「なにに悩みますか?」とか。

 

あ、そうですそうです、

ぼく、チームの単位では「イジってもらえるか」がめちゃくちゃ大切やと思ってるというのも大きな気づきでした。

 

 

就職活動を通じていろんな方に出会いましたし、

今後もお付き合いできたらなあという方ばかりですし、なにより、

大事な友人や、尊敬するみなさんと、次は、事業を通じてご一緒したいなあの気持ちが、めちゃくちゃ膨らんでいます!!

 

そして、友人たちは、

自分の動機と重なるところで尊敬できる働き方をしていたり、

ベンチャーつくって8000万資金調達したよー、とか

フリーランス的な働き方で大活躍していたりなど…

 

焦りのような気持ちもあります。

 

こちらにも書いたのですが、

 

taaaaaaaaa.hatenablog.com

 

きちんと、自分の言葉で話しながら、出会う人を大切にしながら、

突き抜けられたらなあと思っています。

 

がんばります!!

 

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「社会のために!の罠」の話。

 

 

Facebook初期のエピソードで、目ん玉とび出るぐらいの額で買収案が持ち上がって、

取締役会の皆さんは「マーク!売ろう!」と説き伏せようと試みたけれど、

「いや、世界とユーザーをもっとつなぐことができる、それがぼくの使命だ」

ザッカーバーグ氏は取締役のみなさんとケンカした、そして現在のFacebookここにアリ、というお話が大好きなのですが、

「それに比べて日本の若いベンチャーはバイアウトばかり狙いやがって…」

みたいなぼやきをスタートアップを注視する大人のみなさんからよく聞こえてくるたびに

「ほんならあんたがやってみなされや…」

と思う毎回で、けれどまあ確かにマーク・ザッカーバーグの信念はすごいなあと、

大人をぼやかさせる皆さんとはなにが違うのかなあ…

なんて考えていましてのエントリーでございます。ご笑覧ください。

 

 

自分のためにやっているのか、他者性のためにやっているのか

 

ぼく、普段は地域計画などを学ぶ学生なのですが

地域系の活動は参加のハードルが低く、暇を持て余した定年退職おじいさんなどを代表に

「わたし、いいことやってます!」の気持ちに対してなんの疑いもない皆々さんをよく目にするのですね。

 

昨今は「地域活性化」は一種バブル、流行のようなところもあり、学生なんかもよく参加されているのですが、

みんな口を揃えて「イイコト」を言います。

 

でーも、たとえば活動なんかをご一緒させてもらって、なにかを決める場面で

「誰のためにしているのか?」の本質が見えてくるなあと感じます。

 

 

「誰のためにやっているのか?」は、グラデーションで、

公益性や自己犠牲を過剰に求められて、「自分の糧にならない」構造の場所はよろしくない、搾取フィールドなわけで、はやく離れた方が良いですが、

 

「社会のために」と言いつつ、けれど、ほんとのところは

「自分のためでしかない」そこにはとても気持ち悪い乖離感があります。

 

それってもはや、嘘ですからね。無意識の嘘。

 

 

なにかをするシーンで、求められるものが完全なボランタリーベースなときには、

なんのスキルも必要ないですが、

目標をじぶん(たち)で決め、その到達を目指していくのなら何らかのスキルが必要なシーンがほとんどですね。

 

 

スキルと公益性の意識をマトリクスにしてみた

 

前途の「行動と動機に公益性の意識があるか?」と、このスキルの有無をかねあわすと、こんなマトリクスになるかなあと思います。

 

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Facebookは極端な例ですが、やはり公益性の意識といいますか

強烈な問題意識や、実現したいことがあり、そのうえで必要なスキルが兼ね備わっていることは、暮らしを良くし、社会を良くしていくサービスの提供者になることや、企業というカタチでなくとも、個人としてそんな存在ことに必要不可欠なのではないかと感じます。

 

一方で、図でいうと左上ですね。こちらは「スキルはあるけれど、気持ちは(実は)そこまで」というケース、

「バイアウト狙い」などと揶揄されるサービスやベンチャーはここにあたるのかなあと思いますし、

ああ、解散していくバンドなどもここな気がしますね。

ぼくは、ここ、ぜんぜん良いと思います。そういったスキルを包括して有益なリソースとして取り扱えるようになることが、エコシステムなどなのではないかと感じます。

スキルがあって、行動しているわけですしね。

 

右下、「気持ちはあるけれどスキルはない」ケース、これは学生団体などがあたるでしょうか。自己研鑽の場所としてとてもいいと思います。気持ちは多分にあるだけに、頑にならないようにしたいですね。

 

そして… 左下です。

– 暇を持て余し地域活動に従事するおじいちゃん(実は褒められたいだけ)

– コンプレックスと闘う場所として公益性がある場所を選んだ皆々さん

 

言えたこっちゃありませんが、一度、考えてみるのはいいと思います。

「ほんとに欲しいものは、なんなんだろう?」って。

 

そして「わたし、良いことしてる!」の罠に陥りやすいのも、このセグメントの方々の特徴であると感じます。

 

みなさんは、建前上は「社会を良くしたい!」と口にするわけですから、

適切な方法論について、アドバイスや進路変更の提案などをする方々もいらっしゃいます。こういうことをしてくださる方は、優しい方が多いです

(誰かに偉そうに話したいひとが言っている、もはや地獄絵図ケースもあります…)。

 

しかし、左下のみなさんの目的は、まあ言ってしまえば「褒められたい!」ですから、

絶対に聞く耳をもちません。むしろ「なんであの人は分かってくれないんだ!」などと不満げにつぶやく、そんな反応になりがちですよねえ…

 

…まあ、なにも言いませんが、きっと、苦しくないですか?

スキルも忍耐もなにもないのに、ほんとに欲しいのは自己肯定感とかなのに、

「社会を良くしたいんです!」みたいなこと言うこと…

 

 

まあけど安心してください、

最初はだれしもが、ゼロ / ゼロ からはじまっているわけですから。

自分に問いかけ続けて、もしくはスキルを身につけて…

それが人生ですものね。

 

 

けれど、体感として、

「社会のために!」とは言いつつ、自分のコンプレックスや褒められたい欲求を満たすために、

地域活動やNPOのまわりに居座り続ける人がいます。

 

ほんとにスキルがついてくると、必ずきちんと必要とされますし、

そこでどう成果を出そうかということに集中していくわけですから、

きっと言いながら感じてるその気持ち悪さもなくなってくると思います。

そしてこれ、自分に対しても言ってます。

正義感の濫用は暴力的だよなあ。

 

どうかみなさん、はやく、苦しいかもしれませんが

自分との対話の時間を持てるといいなあ… と感じます。

 

 

 

今回は以上となります。<25分>

 

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