安心してその場にいれることの話。

 

 
 
ちょっとバタバタな日が続き久しぶりの投稿になってしまいました。
雪が降って寒い、家の中でも息が白いなどありますがおおむね元気です。
 
 
先日、ほんっとに久々にゲストスピーカーとして「人のまえで話す」なるものをさせていただきまして、
そのイベントがめちゃくちゃあったかくって、終わった後に、自然発生的に
いろんな会話の輪ができてて、ああいいいなあと、
主催の皆さんの人柄が出てるなあと感じた次第なのですが、
 

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イベントのテーマは
 
「いろんな人の旅のスタイルを解剖してみよう!」
 
みたいな感じのことで、
ぼくの他には、栄養問題を解決したい!って想いで、
ザンビアフィンランドヘルシンキ大学に留学しちゃって、
夢をいろんな手段で追いかけるの、いいよねえ、みたいな、
 
 
…生き方の変態だ!
みたいな皆々さまのなかでお話させていただくこと
大変恐縮に感じながらの登壇だったわけでございますが…
 
 

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▲ ぼくは「じぶんの興味と接続しながら暮らせれば、それ、日常が旅みたいでいい感じじゃないっすか?」みたいな話をしました
 
 
そのイベントに「春休みにはじめて旅します!」みたいな、
イマドキ女子大生の仲良し2人組が来られていたのですね。
 
彼女たちのまわりに、男臭く変態度高めの空間で現世感がありかつ可愛い女子の需要が高かったこともあってか、
2人を取り囲んで「ここ行ったらいいんじゃない!?」「あそこはオススメできないなあ」「むしろザンビア行っちゃえば?」みたいな会話が繰り広げられてまして、
その光景を見ながら感じたことを書こうというエントリでございます。
 
 
 
 
安心してその場にいれるということ
 

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ぼくの言葉じゃありませーん!

確か、働き方研究家の西村佳哲さんの言葉だったでしょうか…

 

西村佳哲 | リビングワールド

 

 

「人に頼る」ができる人って、なかなかいないなあと思います。

前途の2人も、最初のうちは口からなかなか言葉が出てこない様子で…

 

けれど、その日集った「頼らなきゃ死んでた」みたいなみなさんの自然なふるまいとあたたかさに

炙りだされるように、だんだんと口をひらいてくれるようになっていました。

 

うんうん、そうだよなあ。

「自分はここにいていいんだ」という感覚がないと、なかなか、話し出すことって難しいですよねえ。

ぼくらの世代は「KY」と言われることをすっごーく怖がりながら生きてきた世代なので、尚のことそうなんじゃないかなあという感覚があります。

 

 

「安心して」その場にいられることが、

なんていうんだろう、そのコミュニティに対して貢献できる最低限の条件のような気がするのですね。

緊張しながらだと、話せないし、次また行こうってあんまり思えないものなあ。

 

「じぶんが安心できる場所はどんな場所だろう?」という質問を、

じぶんに対してできるようになった、というのが、ぼくのこの夏の大きな出来事だったのですが、

「安心を獲得するためにできること」をする、というのは、「生きていくために」必要なふるまいで、次のステップなのかもしれないですね。

 
 
そして安心できる場所をたくさん見つける / つくるができた先にある言葉が、これなんじゃないでしょうか。
 

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これもぼくのじゃなく、脳性麻痺で車椅子にのりながらお医者さんをされている熊谷晋一郎さんの言葉ですね。

 

www.univcoop.or.jp

 

 

 

安心して、だれかにお願いできるようになること。

ほんで、もらったありがとうを、またじぶんのありがとうで返せるようになること。

 

これが「自立」で、ぼくはこれを「生きていく」にしたいなあと思う次第です。

 

こんかいは以上となります。

 

あ、人前で話すって、めちゃくちゃ良い訓練になります。

ぼくでお役に立てるシーンがあれば、ぜひ呼んでくだされば嬉しいです!


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「他者性に対して、ひらいてる?」という話。

 

 

コアな価値観の言語化に挑戦します。

 

 

 

前回のエントリで、このような文章を書かせてもらったのですが…

 

taaaaaaaaa.hatenablog.com

 

 

こちら、一瞬ではあったようですが、はてなブログのトップにあがっていたり、

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なにより、9SARI(ご紹介した日本を代表するHIPHOPアーティスト、漢 a.k.a. gamiさん率いるレーベル)のオフィシャルアカウントがリツイートしてくださって…!

とっても嬉しいです、ありがとうございます!

 

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「調子いいときに市場を拡大しないと、未来がないよねえ」という話だったのですが、

ラッパー・漢さんのように「自分の安心できる仲間」だけではなく、外の人や、違う業界の人とも一緒に目的を設定して目指していけるって、めちゃくちゃ難しいことですよねえ…

 

このような、安心できる場所、コンフォートゾーンのそとにいることを「他者性」とぼくはよんでいるのですが、

「他者性を許容できる」こと、「他者性に身を投じることができる」こと、

ぼくにとって、かなりコアな価値観だなあと感じ、文章にしておこうとの思ってのエントリです。

 

 ひとことで言うと、こういうことです。

 

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 (スチャ◯ラパー風のアイキャッチをつくってみた)

 

 

 

他者性に対してひらいているか?

 

 

ミレニアム世代の特徴、そして、「ああ、この人歳とってんなあ…」と思う大人と、そうでない大人をわけるもの、それは「他者性に対して、ひらいているか」という感覚の有無です。

 

あいまいなな表現となってしまうのですが

「信頼の対象が 、限られた共通の体験をもっている人だけじゃないか?」

というような感覚とでもいえばいいでしょうか…

 

 

たとえば、新しい経済といわれるシェアリングエコノミーですが、

これに対して「知らない人と共有するなんて理解できないわ」という反応となるのか、それとも「共有が世界をひろげてくれるよね!」という反応になるか…

 

 

ああ、そうだ、まちづくりや地域活性化でとても顕著に現れると感じます。

 

衰退していく地域と、縮小社会を前提に適切なデザインを目指す地域の違い。

これも、地域にとっての「他者性に、ひらいているか」が、大きな要素だと考えます。

 

 

島根県海士町というモデルケースなどは、地域おこし協力隊を有効に活用し、革新的な取り組みを次々に行っています。

 

日本海の離島にこれだけ求人があるんだぜ…? しかも、役所HPに掲載されているだけだぜ…?信じられる?

 

www.town.ama.shimane.jp

 

 

海士町の急速冷凍技術、CASシステムと並び知名度を誇る取り組み、公立学校魅力化プロジェクトですが、(高校消滅=15歳〜18歳人口+家族の人口流出という)危機的な状況をまえに、生徒数のV字回復のプロジェクトを主導したのは、

東京都生まれ、海士町には縁もゆかりもない、岩本悠さんだったそうです。

 

megurinowa.jp

 

いっぽうで、衰退していく地域は、地域の中で利権を過剰に気にしていたり、

「街のため!」と言いつつ、結局は自分への利益誘導だったり、いつまでも自分の居場所を誇示したいおじいちゃんが要職に居座り続けたり…

 

このような「自分のことしか考えていない」

これが、「他者性に対して、ひらいている」と対極の振る舞いに感じます。

 

 

Facebook創始者マーク・ザッカーバーグさんの、ハーバード大学卒業生にむけられたスピーチのなかでも、「ああ、このひとは他者性に対して徹底的にひらいているんだなあ」と感じました。

 

keizokuramoto.blogspot.jp

 

 

「 " わたしだけが満足 " では、もはや幸せになれない。みんなが目的を持てる社会をつくる、これがわたしたちミレニアム世代の使命です」

 

 

ザッカーバーグはこのように語ります。

そうそう、この「他人(社会)も自分ごとである」という感覚、これは「他者性に対して、ひらかれている」ことの特徴とヒントかと感じます。

 

記憶に新しい、枝野さんの演説の光景。

 

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枝野さんが口にされる「市民の力を国政へ!」という言葉、これも

「自分の力だけではない、他者性を包容しながら」ということに感じます

(このケースは、もしかするとブランディングの話になるかもしれませんが)。

 

 

前回のエントリ、漢 a.k.a gami さんが「カルチャー全体へ還元されるようにさまざまな挑戦をしている」も、他者性に近いものだと考えます。

 

 

ああ、でもこれ、世代で区分けされるものなのではないのかもしれないですね。

この、ある種の連帯感。全体主義まではいかず、けれど、なにかの一員であることを前提とする認知、

 

これは、もしかすると「大義」だったりにつながるものであるかもしれませんね。

 

いくらすごい人でも、この感覚を共有できる人でないと「人格的に優れている」とは思えないなあと感じます。

 

 

 

「優しさ」や「大義」にも言い換えられるかと感じた次第です、この、他者性にひらいているか、という話。

「ずっとつながっていくことになるんだろうなあ」という仲間には同質のものを感じますし、

Facebookはじめ、Googleや、一世代で帝国を築いた彼らから、感じることも、

「他者性に対して、ひらいている」ということなのであります。

 

 

書きながら、感じました。この「他者性に対し、ひらかれているか」という感覚は、

ほんとにぼくの価値観の根底にあるものであり、その部分への認知は鋭く働くところであり、

地域活性化や取り組み、広義の事業に対しても、この感覚で認知していると感じました。

 

そして、まだまだ言葉にならないなあ、も…!


前世代の「みんなで共有できる価値観」であった宗教は(日本では少し違うかもしれませんが)、

「同じ信仰をもつ人々の共助システム / 社会基盤」の側面も強いと思います。

けれど、21世紀の社会基盤としては機能しえなくなっているのだと感じます。 

 

まだまだ、考えたい。

「ひらかれている」という感覚のもと、いろいろな取り組みや事業が立ち上がり、

そしてその中でまた戦略的にも優れたものが、文化や社会基盤になっていくのだと感じます。Facebookのように。

 

 

 

あなたはこの感覚、認知できますか? ひらいていますか?〈42分〉

 

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「市場を拡げないと結局、死ぬよね」という話と、漢 aka gamiはすげえ、という話。

 

 

 

あたりまえの話と、「あたりまえ」の実例を書くエントリです。

 

出版に関するこんなニュースがありました。

www.nikkei.com

 

端的に言いますと、大手出版社が(もろもろの事情があるにせよ)「文庫本を図書館で取り扱うのはやめてほしい」と、「そんなことされたら、本、売れなくなっちゃいますよーーー」と発言された、というニュースでした。

 

これに対して、キングコングの西野氏が、自身のブログで「読者分母増やさんでどないすんねん」と、「自分の著書を500冊無料で図書館へ寄贈します」そして「売り上げを増やして証明します」と、参戦されました。

 

lineblog.me

 

ここで西野さんが問題にされているのは

「本を読む人の母数が減少したら、本の売り上げは減ります」という、至極まっとうな理論

 

市場拡げないと、いま、調子よくても、死ぬよね。

西野さんの一連の発言はごくごく自然な発言にぼくは思いますし、

TOSHIBAはじめ、HITACHIやSONYの没落から学べることは

「ニーズに基づく」ではなく「ニーズを生みだす」をしなければ、死ぬよね、

ということだと思いますが、大企業さんでは難しいんでしょうね…

 

 

これ、おーんなじことが、カルチャーにも言えるなあと思いますし、昨今大流行しているHIPHOP業界で、そのことを愚直にされている人がいます。この方です。

 

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漢 (ラッパー) - Wikipedia

 

HIPHOPを少しでも好きであれば知らない人はいない、そう、泣く子も黙る

漢 aka gamiさんです。

 

漢さんは9SARI GROUPというレーベル事務所の社長をされているのですが、

そこでの活動が、まさに「市場拡げないと、死ぬよね」を実践されているのでご紹介したい!好きなんですHIPHOP!ミーハーだけど!

 

 

漢 aka gamiはすげえぞ

 

設立まではなかなか闇深い事情もあったようではございますが、そこには触れず、

日本を代表するフリースタイルバトラーとして、アーティスト一本としても、きっと食っていくことは難しくないであろう漢 aka gamiさんですが、

9SARI GROUPとして様々な活動(事業)を多面的に展開されています。

 

例えば、9SARI Cafe。

https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13193433/

「もしかしたら漢さんに会えるかもしれない…!?」HIPHOP好きなら、ドキドキしますが、一度は行ってみたいと思いますね。たとえ食べログ評価が地を這うほどだとしても…

 

そして、漢さんはYoutuberとしての活動もされています

 

www.youtube.com

 

 

アーティストとしての楽曲リリースも行うわけですが…

 

少し前に話題になった「成宮寛貴!芸能界電撃引退!コカイン疑惑!」の一連でも、

一連の騒動で成宮氏が「裏切られた」と話す、疑惑の友人A氏が、このチャンネルで真相を話すという動画がアップされたり…

 


9SARI HEAD LINE #番外編VOL.8「何かとお騒がせな成宮寛貴の友人A氏兄弟が9sariに真相を語りに来た!」

 

最近だと、元オウム真理教幹部、現ひかりの輪代表、「ああ言えば上祐」でおなじみの

上祐史浩氏が出演されていたりなど…

 


9SARI HEAD LINE #番外編VOL.9「上祐史浩とオウム真理教の光と影を垣間見る。」

 

再生回数でいくら稼いでんだろうなあ…、という話ではもちろんありますが、

これ、一企業としての話と考えてみたらですね、

 

「社長!Youtubeやりましょう!いろんな人よんで弊社の知名度アップです!」

「よし!やろうか!」

 

ってことですよね…

もちろん規模だったり、ブランドイメージだったりもろもろあると思いますが、

HIPHOPからの興味でもない視聴者がこの動画を見て、関連動画から、HIPHOPの動画を観る、かっこいいと思う…

 

任天堂も「社長が訊く」というコンテンツを展開されていますね。

www.nintendo.co.jp

 

 

こうして、漢さんは本気でHIPHOPというシーンに貢献されていると感じます

(いまのところ)(金にもなるだろうけれど)。

 

「漢ダセえ、なにがYoutuberだ」みたいなことを言う方も、絶対いると思いますが、

こういう施策を打てるって、すごくない? やらない奴より、やる奴のほうが、ぜったいカルチャーに貢献してない?

 

 

漢 aka gamiはじめ、9SARI GROUPの尽力なしには、昨今のモンスターダンジョンはじめHIPHOPの盛り上がりは、なかったでしょう。

 

ぼくが好きなメロコアは、90年台の最盛期に、そういうことを一切してこなかったんだと思うんですよねえ…

Hi-Standardのみなさんはケンカばっかして… 「よっしゃ!カルチャーのために一肌ぬいだろやないかい!」というような「大人さ」がなかった、

そういうところは沈んでいって当然じゃね?

そう感じる次第であります(独断と偏見です)。

 

 

 

「市場規模の拡大のための施策」は「投資」だと思う

 

「いまはそういうフェーズじゃないから」

「弊社のブランドイメージとは噛み合わない」

いろんなお話があるでしょう…

 

でも、いいですか?

人口減少という社会背景や、消費の対象が多様化し、またインターネット空間に流れているいま、

市場を拡げないと、死にます。ぼくはそう思います。

 

これ、就活でもひとつ軸になると思うんですよねえ。

「御社は業界自体の市場規模の拡大を目的とした事業、または取り組みをされいていますか?」

もう、やっているという前提で聞いちゃいましょう。景気がいい昨今、やらなくてどうするって感じですし、これをされていない企業は、多かれ少なかれ、変化に適応できない(または、する気がない)のではないかなあと、そんなふうに感じます

(あ、完全に独断と偏見です。二回目ですね)。

 

 

「愛するカルチャーへの恩返し」や「業界を盛り上げる」という事業、また取り組み、

それは明確に「将来への投資」だと感じますし、

センスいい感じの将来への投資を、しっかりと費用対効果もだしながら提案 / 実施していける社会人になりたいなあと、そんなふうに感じる次第でございます。

 

こんかいは以上となります。〈27分〉

 

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友人Mちゃんの話と、苦しみに向ける社会性に救われることがあるんじゃないかなあ、という話。

 

 

とっても尊敬している友人がいるのですが、その友人は

ネグレクト / 保護施設 / 里親 という環境のなかで育ってきたという友人で、

けれど、その環境で育ったから尊敬しているわけではまったくなく、

いま、友人として見せてもらうその普段の姿に尊敬の念を隠しきれないのですが、

彼女が育った背景をかんがえるとき、どれだけの痛みと苦しいを抱えてきたのだろうということは、もちろん、感じるわけでございます。

 

 

彼女はいま、じぶんが当事者であった

「選択できない、生まれながらの環境により選択肢を剥奪されてしまう子どもたち」に、

自分だからできることはないか、そして、

そのことを生みだす社会背景自体に働きかけようと日々奮闘しています。

 

www.huffingtonpost.jp

その友人が関わるプロジェクト

 

けれど、やっぱり、選択することができない環境から抜け出せず、

苦しみを苦しみと認知できぬまま、自己防御を繰り返しながら、

自分と、愛情むけてくれる人を傷つけながら育った方もたくさんいらっしゃったのだろうと想像するとともに、

なにが、彼女と、彼女でないひとたちを分けたのだろうと、

そんなことを考えていましたので、勢いのままPCに向かっているエントリです。

 

 

「社会性 / 当事者性」

 

彼女、ここでは、Mちゃんとよばせてもらいますね。

Mちゃんから感じるのは「当事者性と社会性、両方のまなざし」だなあと感じます

 

(これは「ソーシャルワーカーとして必要な資質」として言語化されますね。
こちらのエントリに、そんな話を書きました)。

 

taaaaaaaaa.hatenablog.com

 

 

大学になってから活動をはじめ様々な人に出会ってきましたが、

「過去を清算する」ために、活動などに没入するタイプの人達も多かったなあと思うのですね。

ぜーんっぜん悪いことではないと思いますが、その動機だと、目的地点は

「じぶんの心の回復」みたいなところに向かっていくなあと思います。

 

 

いっぽうで、Mちゃんは(もしかしたら前途したような時期もあったのかもしれませんが)

「当事者だったからできることがあるはずだ」と、じぶんを、いつも奮い立たせている印象があります。

この精神構造って、おそらく「当事者性」をつねに持ちながら課題に向かっていくMさんの姿勢を支えているのだと思うのですね。

 

 

忘れてしまうのは、楽なことです。

けれど、いつまでもじぶんを「当事者として」と位置づけつづけるという精神運動、

ほんで、その精神を支える心の強さにため息がでます。

 

そして、この「当事者性」=「苦しかった」に溺れることなく

「当事者だったから、できることが」という心を持ち続けながら、日々を過ごす姿、

課題解決を志す姿、これはそのまま「社会性」ですね。

 

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苦しみを客観視することで獲得した当事者性、そして、日々を課題解決に投じる社会性、これ、ほんとうに、奇跡だと思うのです。いくら言葉を並べても足りないです。

 

「Mちゃんと友人でいれること」は、ぼくの人生に、大げさでなくこれ以上ないプレゼントですし、そんな友人がいる自分の人生を喜びたいです。

いてくれてありがとう、ほんとにそう思います。

ながい人生、これからも苦しいも日々も笑いあえればよいなあと感じる次第であります。

 

 

Mちゃんの姿は「苦しい」への処方箋になると思う

 

taaaaaaaaa.hatenablog.com

 

このエントリでも書いたのですが、Mちゃんの姿は

「どこに苦しむかを選択している」ということ実践しているこれ以上ないモデルケースだと思うのです。

 

きっと、生まれた境遇や、もらえなかったもの、たくさんあったであろう見て見ぬふりや、一層苦しく感じただろう同調圧力

こういうものに、苦しみのフォーカスをあてることも、簡単だったと思います。

 

けれどMちゃんは、そうはしなかった。

 

もしかしたら、自分と同じような境遇で苦しんでいる子がいるかもしれないこと、

そのような子どもたちを救い出すことができない社会環境に苦しむことを決めたのだと、そう感じるのです。

 

いま苦しいみんな、その苦しみは、

もしかすると、誰かの苦しいを救うかもしれない。

キレイゴトかもしれませんが、そんなふうに感じます。

 

けれど、Mちゃんのケースは、ほんとうに奇跡のような偶然がかさなり起きたのだと思います。

たくさんの学びの機会、自己を客観視する機会、そのような機会も、確実にMちゃんのいまを支えているものだと、話していて感じます。

 

けれど、過去の経験を、

「当事者性を持ちながら、社会性に変換しよう」と決め、そのように毎日を過ごしているのも、Mちゃんが行ってきた選択です。

 

これは、子どもだけには限りません。

苦しみの只中にある人が、どうか、自己を客観視できる語りなおしの機会に恵まれますように。

そのことができる、優しい耳に恵まれますように。

そして、許されるのであれば、そんな奇跡を起こせる耳をぼくがどうか持ち続けることができますように。

 

 

苦しいの横にいれること、こんなにも名誉なことはないと思うなあ。

 

こんかいは以上となります。〈27分〉

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追記:本人から「noteのリンクを貼ってくれ!」とのことなので、しゃーなし…(笑)

ぼくもそうですが、なにかへの当事者になっている人間って、まいにちが手探りで、これでいいのかなあって悩みの連続です。そのなかでしぼりだすような言葉に、コメントや、「読んだよ!」って伝えてくださること、とても嬉しいです!

読んでやってください。

note.mu

 

No Mapsに行ったよ、という話と、ボトムアップ型まちづくりの話。

 

 

ご縁があり『No Maps SAPPORO』というイベントに参加させていただきました。

 

no-maps.jp

 

「街に、未来をインストール。」とのキャッチコピーが冠された今回、

札幌市は初音ミクの生まれた都市とのバリューを全面に、

IT先進都市のような街を目指し、さまざまな事業をおこなっています。

 

 

2014年、坂本龍一さんを総合ディレクターに迎え第一回目が行われた

『札幌国際芸術祭』なども、このような市政の観点から取り組まれています。

 

長嶋りかこさんデザインの、このポスター好きだったなあ!

最近お名前聞かないですがお元気なんでしょうか…

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札幌国際芸術祭 – SAPPORO INTERNATIONAL ART FESTIVAL

 

 

 

今回はIT系のベンチャー経済産業省のみなさんが集まるカンファレンスなどをはじめ、

もはや札幌の文化になりつつある『札幌国際短編映画祭』もNo Maps SAPPAOROの一イベントとして組み込まれる、

期間中は札幌のクラブ・ライブハウスでサーキット型の音楽イベントも開催されているなど、

さまざまなステークホルダーを巻き込んで、時間(と税金)が大量に投入されている感、

一大フェスティバルてな様相呈しながらのイベント期間だったわけですが、

所感を書こうというエントリでございます。ご笑覧ください。

 

 

バイオテクノロジーすごいね

 

 

カンファレンス系のイベントからひとつをピックアップして。

めちゃくちゃおもしろかったです。こちらでした。

no-maps.jp

 

 

 

たとえば、遺伝子解析などの「バイオ系研究者の研究領域」で、いま、

シリコンバレーを中心にスタートアップがたくさん生まれているそうです。

この流れを受けて、経済産業省を中心に、日本政府でも

「バイオテクノロジーを新産業として育てよう」という機運が高まっている、

そして領域に取り組んでおられる大学関係者、ベンチャー、既存の研究者、大企業の研究者の皆々さまが事例共有とパネルディスカッションを行う、というものでした。

 

登壇されていたのはこんな面々。

 

<モデレーター>

上村 昌博 
経済産業省 商務サービスグループ 生物化学産業課長

<パネリスト>

近藤 昭彦 氏
神戸大学大学院 科学技術イノベーション研究科長
田村 具博 氏
(国研)産業技術総合研究所 生物プロセス研究部門長
水無 捗 氏
三菱ケミカル(株) バイオ技術研究室長
武田 志津 氏
(株)日立製作所 研究開発グループ主管研究長
前田 泰宏
経済産業省 商務情報政策局 審議官

 

ざーーーっくり話すと、

「いままでのバイオ系研究(”ウェットな領域”と表現されてた)は、莫大な時間がかかっていた」けれど、AIの登場で「DBTLサイクル*1」を回せるようになってきた、

このイノベーションにより、バイオ研究の技術を商品化はじめさまざま事業に展開できる

そんな話でした。

 

政府もこれにむけて動き出しているようで、iPS細胞をはじめとした、人口減少社会における新たな産業構築のひとつの柱に育てたいという思惑があったようです。

平成28年度バイオ関連予算

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/bio/h28yosanngaiyou.pdf

 

まま、このようなイノベーションを推進し産業化していくためには、

既存の大学研究機関に加え、そのリソースで金を稼ぐことができるベンチャー企業群が欠かせないよねえ、その受け皿に札幌はなりたい、そのためにはがんばってって予算出しまっせ、という姿勢に支えられたNo Mapsというイベントでした。

 

加えて、夜には海外などからも先進的なアーティストを招きサーキット型のライブが行われる…

非常に「未来を感じる」三日間だったのではないでしょうか。

 

「こんなことに税金をつかうのはけしからん!」的な皆さまももちろんいらっしゃるかとは思いますが、ぼくは、成否はもちろんまだわからないですが、

京都市をはじめとして「文化/産業に予算を投入する」ということは「未来へ投資する」ことだと考えておりまして、こういう予算の使いかたを決断できる市政は素晴らしいよねえ、と感じた次第であります。

 

 

 

 

トップダウン見直さない?という話

 

というふうに、ぼくが見る限りではひっじょーに行政主導の部分が大きいイベントに見えたわけですが、

まちづくりの手法においてボトムアップ型が適している」地域と、「トップダウン型が適している地域」があるのではないかなあとの所感を感じたわけです。

 

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「まちづくりは西高東低」ということが語られます。

先進事例としてあげられるのは、徳島県神山町や、島根県海士町、福岡市もスタートアップに優しい街として良く語られますよねえ。

と、こんなふうに「おいおい関西ばっかりじゃねえか!」と感じます。

 

このことにぼくなりの仮説をたてますと、おそらく

「図々しい人間が多い街はボトムアップでのまちづくりに有利」だということなのではないかと感じるんですね。

 

逆に、東京以北は、風土的にも消極的と言いいますか、

こつこつすすめる2番バッタータイプが育まれやすい街だと感じるのです。

悪く言えば「同調圧力が強い」ですけれど、良い悪いの話ではなく、

「このような特性を持っている」という話ですね。

 

その観点で見ると、今回のNo Maps SAPPPROのような、

本来「民間から自然発生的に立ち上がってくるべき取り組みも行政主導でおこなっていく」という姿勢はとても合理的に感じますし、

なんていうんだろう、そういう姿勢でないと、うまくいっている印象がないのですね。

 

例えば、北海道で札幌以外で人口増を果たしている数少ない市町村、

奇跡の下川町は、移住政策の観点で行政がめちゃくちゃセンスある施策をおこなって、もちろんプレイヤーもきちんと応え、結果的に人口が増えているという印象でした。

 

例えば、安倍さんが目指すデフレを達成している街があります、ニセコ町です。

トマム町はハンバーガーをセットで食べようと思うと、最低1,500円からという街になってます。地価もガンガン上がってます。

それは、「アジア最大のスキーリゾートをつくる」という行政主導のまちづくりの結果で、冬に関してはもはや良質なパウダースノーを求める外国人富裕層が町民数を上回る、みたいな現象が起きているようです。

人口約5000人の街に、ヒルトンリゾートがあるんだぜー。


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www.niseko-village.com

 

 

まま、というふうに、市民の力!みたいな文脈で話されることの多いまちづくりですが、トップダウン手法の方が適切な土地もあるんじゃねえかなあ?ということは、

北海道に住みながら地域経済を専攻する一学生として感じるところであります。

 

No Maps SAPPORO、そういう観点で良い取り組みだなあ、関係者の皆様のスキル高すぎるだろうすげえなあと感じる反面、

(会えなかっただけかもしれないですが)ほーんっとに、北海道の学生にはひとりも会えず、東京からいらっしゃたITベンチャーの社長と、経産省のみなさまと、ちょっと、北海道のみなさんが盛り上がる飲み会の光景を見たときに、すこーしだけ、寂しくなってしまったということも…

 

さてさて、予想外に長いエントリになってしまいました。

もっとちゃんと書かれたレポは、この記事が読みやすかったですので、ご興味ある方はぜひ。

 

北の国からスタートアップの勃興を目指す「No Maps(ノーマップス)」が札幌市内で開幕——自動運転からAIまで世界を目指す技術が勢ぞろい - THE BRIDGE(ザ・ブリッジ)

 

 

こんかいは以上となります。

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*1 設計(design)⇒構築(built)⇒試験(test)⇒学習(learn)の略、learnの部分をはじめAIが介入することで、実験⇒結果⇒検証のサイクルを高速に、かつオープンデータを縦断しながら研究をすすめられるようになる。

こちらの論文でちょっと詳細に書いてくれています ⇒ 合成生物工学の未来展望 , 近藤 昭彦・植田 充美 著

http://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/9309/9309_tokushu_0.pdf

「バランスに一票」という考え方はどうだろう? という話。

 

 

衆議院解散総選挙2017、はじまりましたね。

 

小池劇場によりどのような様相見せるかわからない、

もしかしたら「ポピュリズムの大爆発」感を呈しつつ、トランプ政権誕生のようなことが起きるのでは?と、ぶっちゃけ心配していましたが、

もう宴もたけなわ感がある希望の党、心配は杞憂に終わりそうで良かったです。

 

希望の党、選挙前に大爆死」現象により、上がっている声、

「だれに投票したらいいかわかんない」が、ぼくの周りでは聞こえてきます。

 

いやあ、そうですよねえ…

希望の党誕生 ⇒ 第一野党が分解、新党に吸収される、という動きは、間違いなくダイナミックではあって

「おお、これが劇場型政治か!投票率は上がるんじゃねえか!?」みたいな期待感はありましたが、

希望の党と小池さんのポピュリズムは質の悪い被り物だったということが露見していくのに合わせ、しぼんでしまったような印象です。

いやあほんと、このタイミングで剥がれ落ちてくれてよかったですね。

 

 

僭越ではありますが、ぼくが投票するときに考えていることをご紹介しようというエントリです。

「ああなるほど、こんな考え方もあるんだなあ」と感じてくださる方がいれば幸いです。

 

 

さて、結論から申し上げますと、ぼくの投票するときの行動原理は

「バランスに一票を投じる」です。ご笑覧ください。

 

 

ホロコーストから反省したいと思っています

 

いきなりぶっ飛びワードに苦笑されていることかと存じます…

少しだけブラウザを閉じずに読んでくだされば幸いです…

 

第一次大戦後のドイツで、ナチ党が第一政権を獲得した流れを勉強したときに、感じました。

「権力の集中は、まじでよくねえ」と。

 

 

ドイツ労働者党、ナチ党の党首がヒトラーになったのは1921年のことでした。

7年後の1928年の選挙において、ナチ党の議席獲得数は12人、

 

解散前の衆議院では、共産党が21議席で、社民党が2議席ということですので、日本で言うと

「与党絡みのニュースで、ちょっと発言が取り上げられる」ぐらいの感覚ですかね。

 

それが、4年後の政権獲得を果たした1932年7月の選挙で、230人となります。

 

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ナチ党の権力掌握 - Wikipedia

 

 

その後、有史最悪の体験としてとらえなければならない

「人種を理由に虐殺を承認する」政策まで、加速度的に進んでいきます。

 

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ナチ政権とホロコーストが語られる上でポイントそして挙げられるのが、1933年3月に成立した「全権委任法」なわけですが、この後行われた選挙では、

実に92.2%の投票率、そして661人がナチ党の議員によって埋め尽くされています

ポピュリズムは、ほんとに、怖いね。

 

そう、ホロコーストは「権力の集中を国民が許した」から起こってしまった、という側面があると、そうぼくは理解しています。

 

ホロコーストを自分ごととして反省したい」

このことが、ぼくのとくに政治に関わる行動原理の大きな価値観です。

真面目な顔して話してるから、ね??

 

 

そう見ると、今回の解散総選挙、どう読み解く?

 

「なるほどおまえも国会前で安倍さんの顔をヒトラーっぽくしてプラカード掲げてた勢か、めんどくせえ近寄んな」

そんな声が聞こえてきますね… もーう少しだけご堪忍たまわれれば…

 

ぼくは安倍政権から恩恵たまわってることをめちゃくちゃ自覚しています。

20代の自民党支持率が高い、というニュースに深く共感するところです。

 

www.sankei.com

 

いや、ほんと、見た目だけでも景気良くなってマジ感謝なんすよ。

大学生はみんなそう思ってると思う。じゃないとこんな胡座かいて就活できなかったもん。

 

それに、安倍政権の外交能力は、わかりませんが、歴代内閣でも随一なのではないでしょうか… どこに行ってもあんなに歓迎されるニュース、見た記憶は少なくともございません。

 

 

なので、安倍さんが嫌いだから、ということではまったくないと自負していますが、

最大対抗勢力であった希望の党が爆死したいま、今回の選挙の争点は

自民党がどのように勝つか」なことは、誰しも認めるところであるかと思います。

 

そして、「歴史から学べ」と口酸っぱく言われたぼくは、

具体的に歴史から学ぶ、それはどんな振る舞いかというと「権力集中が起きないように一票を投じる」だと感じています。

 

まあ、反論はもちろんあるかと思います…

 

おそらく、北朝鮮でドンパチはじまる感じですね。このタイミングでの選挙は、まあいまは亡き民進党の代表選挙で山尾さんがやめるなどグタグタが一層となり、ここだと盛大な勝ち戦ができるという判断も、もちろんあったでしょうが、

北朝鮮もトランプさんもヤバい」という判断があったことは間違いないと思います。

 

そのタイミングで、政権任せられるのはどこか、ええ、自民党です。わかっています。

経済政策などは議論の余地在りでしょうが、国防の観点から見ると、自民党以外ありえない、これはもう、過激派リベラルのみなさんも認めるか、そうでなければ現実から目を離すしかないトピックだと思います。

 

けれど、そのタイミングでもし万が一、ナチスの全権委任法に準じる政策を打ち出したとしたら、それをきちんとブロックできる議員の方を送り出せるのか?

 

ぼくは、こんなふうに考えて、投票します。

 

ぼくが投票権を持つ、北海道5区、顔ぶれはこのようになっています。

 

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北海道5区の候補者情報 | 衆議院選挙2017 - Yahoo!みんなの政治

 

どこに具体的に投票するかは言いませんが、

今回のエントリについて「おいおいここは間違ってんじゃないか」でありましたり、「ここは明確に事実と違うよ」などのご指導、頂戴できればとてもうれしく存じます。

 

こんかいは以上となります。

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バイスティックの七原則と、苦しいは、話せるといいねえ、という話。

 

 

ソーシャルワーカーという仕事について、知りました。

 

「医療の現場」と聞き、思い浮かべるのは、

病院で忙しく働くお医者さんや看護師さん、

すこし範囲を広げて、介護の現場でも「なにかしらの生活における障害に対してのケア」を思い浮かべますが、

そのようなわかりやすい医療 /ケアの現場からすこし外れたところ、

より生活に近い場所で、なにかしらのトラブルを抱えた人が

生活を送っていけるように支援する人のことを言うようです。

 

 

 

 

医療ソーシャルワーカー(いりょうソーシャルワーカー、MSW:Medical Social Worker)とは、保健医療分野におけるソーシャルワーカーであり、主に病院において『疾病を有する患者等が、地域や家庭において自立した生活を送ることができるよう、社会福祉の立場から、患者や家族の抱える心理的・社会的な問題の解決・調整を援助し、社会復帰の促進を図る』専門職を指す。

 

 医療ソーシャルワーカー - Wikipedia

ソーシャルワーカーに必要な資質として

「主体性 / 社会性の往復」が挙げられるそうなんですが、ため息が出ました…

ほんとにすごい仕事だよねえ…

(客観性忘れず「ケア」の現場で働く皆さんに、過剰に思えるほどの尊敬を感じるのですがこれはまた機会があればかければと思います)

 

 

そんなソーシャルワーカーというお仕事ですが、

このお仕事につくにあたり、マストなスキルとして挙げられる

バイスティックの7原則」という考え方があり、これが

とても汎用性高く、これいろんな現場で必要なんじゃないかなあ、というエントリです。

 

おそらく、前途した「主体性 / 社会性の往復」をケアの基本の在りかたとして提供するための技術なのだと思われます。こんな内容です。

 

 

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文字通り、「7つの原則」という構成で「受容者に寄り添うために」そして

「受容者が必要なケアを獲得できるために」という観点での振るまい方の規定なのかと感じます。

 

これ、よく読んだらね、すっごいよ…!

「意図的な感情表出」「統制された情緒的制御」で、そして

「受容のスタンスで」聞くなんて…

そのまま「夫婦円満の原則」や「部下に接するときの原則」なんかに当てはめられそうですね。

 

そしてこの難易度がひっじょーに高いスキル☓7を、マストとして求められるソーシャルワーカーというお仕事… すごすぎだろと思います…

毎日ほんとに、おつかれさまです、のみこまれすぎないように、してあげてくださいね。

 


「苦しい」を話せることは、奇跡だ。

 

バイスティックの七原則、「苦しいを受容する側」について考えていたら、

「苦しいを話す側」にも、思うことがありました。

フランスの哲学者に シモーヌ・ヴェイユ さんという方がいらっしゃいます。

 

 

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シモーヌ・ヴェイユ(ヴェーユ、Simone Weil, 1909年2月3日 パリ、フランス - 1943年8月24日アシュフォード(ケント)、イギリス)は、フランスの哲学者である。父はユダヤ系の医師で、数学者のアンドレ・ヴェイユは兄である。 ヴェイユ第二次世界大戦中に英国アシュフォード(ケント)でほぼ無名のまま客死した(享年34)。戦後、残されたノートの一部が知人の編集で箴言集として出版されるとベストセラーになった。その後もあちこちに残されていた膨大な原稿・手紙・ノート類を知人たちが編集・出版するにつれてその深い思索への評価は高まり、何カ国語にも翻訳されるようになった。遺稿は政治思想、歴史論、神学思想、労働哲学、人生論、詩、未完の戯曲、日記、手紙など多岐に渡る。

シモーヌ・ヴェイユ (哲学者) - Wikipedia

 

 

ヴェイユさんの言葉に、こんなのがあります。

 

 
不幸によって不具にされた人間は、誰かに救いを求め得る状況にはなく、求めようという欲求すらほとんど抱き得なくなっている。
だから、不幸な人間に対する共苦の情(コンパッション)は不可能事である。それがほんとうに生じる場合は、水上の歩行や病人の平癒や、さらに死者の復活よりも驚くべき奇跡の一つである。
(『神を待ち望む』ヴェイユ

 

 

この言葉に共感します。ぼくの言葉で解釈すると、

「ほんとに苦しいとき、苦しいと認知したら、心が保たなくなっちゃうよねえ。

そうだとしたら”苦しみの認知”を正しく行い、その”苦しいを、話す”ことは、奇跡だよねえ」

という感じでしょうか。

 

そう、きっと、「自分は、苦しかったんだ」と、客観性に支えられた眼差しを

自分の苦しさに向けるとき、

それはほんとうに尊いことで、奇跡のようなことで、

そして、それを、バイスティックの七原則を理解するような人に向け、

「言葉にし、共有する」とき、そのことができるということは

客観性と現実を正しく認識する心のカロリーがある、ということかもしれず、

ぼくは、この状態に、なんていうんだろう、とても希望を感じるのです。

 

健康でいるということが、大切な人へ贈れる、いちばん尊いことに思います。

 

 

無理はせず、準備されたタイミングで、

苦しい人、苦しかった人、いつか話して、笑えるといいね。

こんかいは以上となります。〈20分〉

 

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